2008年12月23日 星期二

台南市水交社眷村『空軍志開新村』

台南市水交社眷村『空軍志開新村』 會長 孫桂熹(摘錄自榮民文化網 永不凋零的眷村 等文)

緣起:
 西元 1930年代左右,日本皇軍在台南市大南門外,五妃廟後測的桂子山腳下,花費了一年多時間,開闢了三條碎石大馬路,並在兩邊起造了五大排大小不等的空軍〔二戰時日本海軍航空兵〕軍官宿舍。完全是道地日本和式的榻榻米居室,並設有當時極為講究的廚房浴室廁所,用作招待台南機場服勤的日軍官佐及家屬們住宿之用,有時也充作各級軍官交誼休假時的俱樂部。一般均簡稱為『水交社』〔註*〕,而 "水交社眷村" 應泛含空軍志開新村,空軍大鵬五村,空軍實踐四村,陸軍明德新村,陸軍國民新村等。

眷村概況:
 民國34年8月抗戰勝利,台灣光復,航空委員會(空總前身)派員來台辦理接收,台南機場部分由空軍第30地勤中隊負責辦理。而水交社亦連同一併交由該中隊接收,稍暫修繕後,供作當時台南空軍基地,空地勤官士及眷屬居住。但人數並不多,一直到38年大陸許多空軍單位轉進來台,而空軍供應司令部,亦奉命自上海撤至台南後,水交社眷舍立即呈人滿之患。

房舍分配:
當年水交社區分鹽埕及荔宅兩大部分,分別由空供部、一聯隊、七供處、補給總庫、維修廠、一大隊、二0七供應中隊等單位,劃分不同轄區進駐。及後西安三供處等單位,陸續來台南市,房舍已不敷分配,乃在台南高商後側加蓋簡單竹牆宿舍四大排。以安置官兵及眷屬。以後又持續在桂子山腳下加蓋四大排,及在荔宅部分興建地面部隊宿舍,逐漸形成了今日的格局。

命名列管:
 當時空軍烈士周志開之母親-周王倩綺女士-在本村居住,為紀念周烈士為國捐驅,遂於民國五十七年正式命名為『志開新村』,隸屬供應司令部列管,列管眷戶739戶、違占建一百餘戶。同時原屬空軍之子弟小學,亦更名為志開國民小學,交由台南市政府管轄。水交社眷舍因列管單位不同,或較晚成立而另有命名;(列管單位)
空軍實踐四村列管眷戶97戶(防砲部)、會長 趙宋世英
空軍大鵬五村列管眷戶215戶(一聯隊)、會長 丁光武
陸軍明德新村列管眷戶76戶(二軍團)、會長 柴保靈
陸軍國民新村列管眷戶45戶(八軍團)、會長 王世發。

康樂活動:
 那時村子中有一復興球場〔原為日軍水交社會址遭美軍炸毀〕,許多勞軍康樂活動,籃球比賽都在那裡舉行。而每晚的 "露天電影" 更吸引了年數的孩子們帶著小竹板凳來看個過癮。後來在球場上蓋了兩排長官眷舍,因而消失變成今日的興中社區公園。 早期眷村社團有平劇社、國樂社、舞蹈社、棋藝社等,眷戶踴躍參與,經常參加國軍舉辦文藝競賽,獲獎無數。

經濟活動:
 最早的菜市場,在一片泥濘的露天兩旁,隨意擺攤做生意,臨馬路邊上有一排竹搭建矮房,是當時的福利社,左邊有一醬油工廠,生產老虎牌醬油。後來由眷村自治會發起改建成 "副食供應場"。至民國六十年後菜市場加蓋成RC屋頂,廣設攤位店舖。許多眷戶為改善家庭經濟,製作家鄉特產,或餐飲加入經營,營業至93年眷村改建才結束。
 早年生活清苦,眷戶兼作家庭副業,有糊信封、火柴盒,代工打毛衣、刺繡、釘鉚釦等,響應當時客庭既工場的號召,為改善家庭經濟打拼。

眷村自治及醫療:
 自治會剛成立時,只有一間平房,放置桌椅書報供村民閱讀之用,後來找到經費,才蓋成現在三層樓的社區活動中心。以前在志開國小大門口右側,是聯勤總部軍眷診療所,設有主任,醫官、護士等數名,全天為軍眷提供醫療服務,後因聯勤任務減縮撤銷。而志開新村自治會,遂得以遷搬至此辦公。為村民服務至今。
 眷村自治會,由眷戶選舉會長、副會長、委員等,均為無給職,綜理眷村自治事務。志開新村因副食供應場,收入管理費用,用於發給每年兩學期子女獎學金,及眷戶一年三節福利金或日用品等。自治會幹部,每月開會一次,上級列管主管,均派員出席指導。

眷村改建:
 民國85年,立法院通過老舊眷村改建條列,水交社各眷村,亦因房屋老舊不堪,於92年起配合政府,不在原地改建政策,經辦理法院認證後,陸續開始搬遷至,已完工之台南市國宅。遷購標的有大林新城、大鵬新城、四維新城、實踐三國宅、新興高層國宅。
 志開新村於 93年 9月起,開始搬遷,以大林新城為主標的,大鵬新城因被法院查封,更改選項外,眷戶尚有領款,自購市場成屋等選項。

眷村文化:
 如今台南市眷村遷建已成定局,眷村居民已陸續遷離。台南市政府規劃範圍,面積約四公頃,及八棟日式官舍,已指定為市定古蹟。另保留眷村自治會辦公室(軍眷診療所),桂子山及其南側之克難眷舍,均需保留,成立『水交社眷村文化園區』,並以都市更新方式辦理。保留之房舍,作為實屋保存區,擺設老的眷戶用品、老照片等,以呈現早年生活況味。為保存特有眷村文化,台南市文化觀光處,亦應提供部隊與眷村文化,相關之展示解說、住宿與餐飲等服務,展望未來,一幅美景呈現眼前,充滿歡欣希望,『志開新村』,永存吾心!

註*
水交社(すいこうしゃ)とは,明治9年3月21日創立,海軍省外郭団体創設,日本海軍将校の親睦・研究団体。 
名称由来;荘子・山木編 君子之交淡若水--君子の交わりは淡くして水のごとく--に由来する。 総裁は海軍将官、現役皇族,社長は現任海軍大臣兼任。平成10年現在会員数は約6000名。陸軍同様の組織名稱為偕行社。
偕行社,明治10年2月15日創立,陸軍将校の修養・親睦団体。大正13年7月財団法人となり、ほぼ全将校が加入していた。大東亜戦争終結とともに消滅。
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水交社
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水交社(すいこうしゃ)とは、1876年(明治9年)3月21日海軍省の外郭団体として創設された日本海軍将校の親睦・研究団体である。名称の由来は『荘子』の「君子之交淡若水」から採用命名された。総裁は海軍将官現役皇族、社長は現任海軍大臣の兼務であった。
海軍士官専用の旅館喫茶店なども経営し、会員と施設利用は海軍士官高等文官士官候補生などの海軍幹部関係者に限定された。水交社自体は太平洋戦争敗戦後に消滅したが、1952年(昭和27年)に財団法人水交会として復活した。
機関紙「水交記事」を発行していた。
なお、陸軍には同様の組織として偕行社が存在していた。
"http://ja.wikipedia.org/wiki/水交社" より作成---------------------------------------------------------------------
水 交 社
明治9年3月21日創立された、海軍部内の修養・親睦団体。名称は、荘子・山木編 君子之交淡若水--君子の交わりは淡くして水のごとく--に由来する。
士官のみならず、候補生、高等文官を含む点が偕行社とは異なり、総裁には皇族を戴き、水交社長には海軍大臣が就任した。大東亜戦争終結とともに消滅したが、昭和27年9月 旧社員を中心に財団法人水交会として再建された。
平成10年現在 会員数は約6000名。
平成13年春には、海上自衛隊OB会の『桜美会』(会員3500名)との組織一体化が実施され、現在の会長は旧軍関係者ではなく防衛大一期卒の佐久間元海将である。偕 行 社
明治10年2月15日創立された、陸軍将校の修養・親睦団体。大正13年7月財団法人となり、ほぼ全将校が加入していた。大東亜戦争終結とともに消滅したが、昭和29年陸士卒業生を中心とする親睦団体として再建され、昭和32年、再び財団法人として認可された。
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水交社跡 http://officers.hp.infoseek.co.jp/22ikou/ikou-suikousha.htm
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榮民文化網 http://lov.vac.gov.tw/Village/Content.aspx?Para=23&Control=3
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